作者:ナターリア・マルティン・カンテロさんが記載している紹介文を以下に掲載します。

『インテグラルな幸福を求めて。もし手にしたら、どうやったか教えてください。』

鼻の前に何があるのかを見るのには、不断な努力が必要だ -ジョージ・オーウェル
スペインで、そしてアメリカ合衆国ではフルブライト奨学金を得ながらジャーナリズムを学び、7年間サンフランシスコのEfeの通信員でした。そこでヨガ、瞑想、健康全般を学び、海を何時間も眺め、調和のとれたライフスタイルのための種をまきました。もちろん、この間はスペイン、アメリカそしてブラジルのEfeのために、またフリージャーナリストとしてもの記事を書いていました。現在はidaSencilla.esのサイト 運営と、ジャーナリズムとヨガの教室もしています。私には、私と同じ広がった耳と郊外にある手作り途中の家を受け継いだ娘がいます。誰かが、人生はそれを複雑にするだけの努力を簡単にするために使ったら、裁縫と歌だけになると言いました。そんな難しいかしら?ここでは、そこを目指しています。もし辿り着けたら、どうやったか教えてください。


En busca del bienestar integral. Si lo consigues me cuentas cómo.~Natalia Martín Cantero

【Para ver lo que tienes delante de las narices se necesita un esfuerzo constante ~ George Orwell】

Estudié periodismo en España y en Estados Unidos, donde aterricé con una beca Fulbright. Durante siete años fui corresponsal de la Agencia Efe en San Francisco. Allí planté las semillas hacia un estilo de vida más armonioso gracias al estudio del yoga, meditación, salud integral y muchas horas mirando al mar. A lo largo de estos años he escrito para medios de España, EEUU y Brasil para Efe y como periodista independiente. En la actualidad codirijo el sitio VidaSencilla.es y doy clase de periodismo y de yoga. Tengo una niña que ha heredado mis orejas de soplillo y una casa en el campo a medio hacer. Alguien dijo una vez que la vida sería coser y cantar si uno se esforzase tanto para simplificarla como lo hace para complicarla. ¿Tan difícil es? En este espacio te empujo en esa dirección. Si lo consigues me cuentas cómo. 
Vuelta y Vuelta ーくるくるとー

アヒル?それともウサギ?- ¿Pato o conejo?

Posted: 2月 14th, 2012 | Author: admin | Filed under: スペイン語 | No Comments »

人生の中でいい影響をもたらしてくれている源泉の一つが私の五歳の娘との読書。ほとんどがそうであるような良くなかった日も、彼女に話を聞かせた後はとても気持ちの良い夜となる。
だけども、昨日は議論になってしまった。彼女がウサギだというところを、私はアヒルだと思ったのだ。こういうことも頻繁に起こる。発展とみる人も入れば、退転と見る人もいる。同じものを人影とみたりトカゲと見えたり。そんなものだ。ただ言えるのは、年始にあたって自分がみたいように物事をみたら良いと言うことだ:こっちではアヒル、あっちではトカゲ。

Pato o conejo アヒル?それともウサギ?

写真からわかる通り、年初の投稿から賢く繕うとは思っていない。

ただ、私たちが見ているものがどんな強力なメカニズムによって認識できているかとある生理学者の哲学的な疑問を呈した記事に出逢ってしまった。それへの答えはこちらの記事Pato_o_conejo.html で見つかると思う。また上の画の元なっているにも退屈なバージョンもこちら。

娘がアヒルにしか見れなくて、私も人参を口に加えているウサギとしてみたことと同様に、いくつもの大事なものを見過ごしているのだろうと考えてみる。ジョン・カーペンターのゼイリブに出てくるヒーローが偶然手に入れたサングラスでは世界をありのままに見れるという。雑誌の壁の広告や、映画にも、「追随し、隷属し、醒めず、衝動買いし、権威に疑義を持つな」というメッセージをひた隠し、サブリミナルに送ってくる。新型のテレビが、例えとして、実際に”考えず、消費しろ”という。私たちの中に同じ人間の姿でもどうやら、本当の異星人や爬虫類がいて、彼らが金持ちだったり権力者や法執行機関だったりするようだ:そしてサングラスを使うと、表面下にある真のメッセージを見せてくれるのだ。

また別の意味でも、私が思うに、効果を発揮すると思う。サングラスが、いつも気づかない、ドアを開けてくれる優しいおじさんや朝に適量の砂糖を入れたコーヒーを持ってきてくれる同僚を発見してくれると。結論として来年の東方の三博士には(注:スペインではサンタクロスではない)そんなのを頼んでみたいと思う。ウサギアヒル、ウサギアヒル、ウサギアヒルトカゲ。

元記事リンク:Vuelta y Vuelta by Natalia Martín Cantero
(記:2012/01/12)


ワインのない食事は、太陽のない1日である – Una comida sin vino es un día sin sol

Posted: 8月 23rd, 2011 | Author: admin | Filed under: スペイン語 | No Comments »

衛生的で、刺激的で、栄養になる。
当時は言葉を飾らないでいた。
ポスターは、「象の記憶」プロジェクトの一部。

Una comida sin vino es un día sin sol

ポスター訳:
ワイン国際事務所
―――――――――――――
ワイン一リットルにつき、
衛生的で刺激的な飲み物としての特徴以外にも、
これらと同様の栄養価値がある
900ミリリットルの牛乳、370グラムのパン、585グラムのサーロンステーキ、卵5個。
このポスターは以下の学者たちが行った研究ワインに基づいている:
LOEPER-パリ大学薬学科教授
DECREF-マドリッドレアルアカデミー薬学科教授
VIRES-モンペリエ大学薬学科教授
―――――――――――――
ワインのない食事は、太陽のない1日である
元記事リンク:Vuelta y Vuelta by Natalia Martín Cantero
(記:2009/08/25)


なにもしないアート – El arte de no hacer nada

Posted: 8月 23rd, 2011 | Author: admin | Filed under: スペイン語 | No Comments »

あなたは、5才。あなたは自分の部屋に寝転がりながら、色つきクリップで作った競技場でワームレースをしているか、幾何学的な形を切り取って、紙に貼り付けている。家は静寂で。台所のテラスにある洗濯機の細やかな音が聞こえるだけ。すべては平和そのもの。
そこに、突然、あなたの母親が、部屋に現れ。天窓に寄り掛かり、なにをしているのかを問う。「なにも」そして答える「なにもしてないよ」

もし、繰り返し問おうものならなら、この充実した瞬間を破壊する大人としての説明を展開しなくてはいけなくなる。無言で。
子どもにとって”なにもしない”ということは消極的を意味することにならない。まだ名前のないことを意味する。「あなたがすべてにラベルをはる行為を辞められたら、その瞬間うららかさをとりもどすことができるでしょう」ヴェロニク・ヴィエンヌが「なにもしないアート 」の中で言っている。この夏にあう読み物。それとアイデアを一つ:皿を洗っている時や、買い物、電話しているときに「何もしない」こと。

それとついでに、しばしのお別れ。Plum Village をはじめ、「何もしない」をするために、お気に入りの場所に行って、できればタンクを満タンにして、プライオリティーを見直して、そして、一新してエネルギーたっぷりに帰ってこよう。待っています。

El arte de no hacer nada

日本。写真:Tilomilo
言いたいことを少しいい残し。すべてを追究しないで。ミステリースペースもつくる。

元記事リンク:Vuelta y Vuelta by Natalia Martín Cantero
(記:2011/07/20)


詩と夢 – La poesía y el sueño

Posted: 7月 20th, 2011 | Author: admin | Filed under: スペイン語 | No Comments »

詩は、いつもいい。

それにどうやら記念日でもあるらしい。
(関連リンク:MESSAGE FROM THE DIRECTOR-GENERAL OF UNESCOON THE OCCASION OF WORLD POETRY DAY

そして、春でもある!

さらに、これまであなたは眠るとき、どこかに行っているかもしれないと考えたことは?
そこが時間のない場所なのか、場所がない時間なのか、それとも未来かもしれないし、あるいは幼い時期かも?
眠っている子どもをじっと見ていて、心動かない人はいるのだろうか?

夢のまたさらに奥に潜んでいる
だれも予測できない
正確で
想像以上の
それを見るために
目を閉じさせるものを
見つけるために。
あなたの顔に、私の顔を見とり
私の顔つきは:
半分私、半分光。
フレデリコバルボサ(「遺跡の中で愛の歌を」)。
(写真とポルトガル語の翻訳は、”私のもの” です)。

La poesía y el sueño

ポルトガル語もなんて詩的な言葉だろう:

Descobrir o além do sonho
o impensado,
o certo,
o mais que imaginado,
o que os olhos buscan cubrir no sonho.
Ver em você, minha cara,
minha cara interpretada:
metade minha, metade clara.
Frederico Barbosa (”Cantar de Amor entre os escombros”)

元記事リンク:Vuelta y Vuelta by Natalia Martín Cantero
(記:2011/03/21)


シエスタとベッド -La siesta y la cama

Posted: 7月 20th, 2011 | Author: admin | Filed under: スペイン語 | No Comments »

前の話題からあまり離れないで、昼寝をするための完璧な口実を見ていこう。

バークレー大学は一連の調査によると、人が一日を起きっぱなしで過ごしていると(つまり昼寝をせずに)日に日にネガティブな感情に敏感になってくるという発表をした。
反対に、昼間に眠ることがある人たちのほうがネガティブな影響を受けることが少なく、ポジティブな感情を感受しやすいとしている。

私は、科学者が世界を発見してくれなかったら私たちはどうすればいいのかと考えてしまう。それよりも興味があるのは、ネガティブなものがどこから向かってくるのかを知ることだ。上の睡眠不足から起きる問題という調査結果からいえるのは、一日が長ければ長いほど睡眠が足りないことから感情処理を担っている脳は疲れていき、嵐を乗り越えるのが困難になってくるということだ。

ほかにも言えることは、恐怖と憤怒への過剰反応対策として適応戦略が結実する必要があるということ:疲れてくるにつれ、危険信号も兆候を気に掛けることが大事になってくる。
明白なのは、短い昼寝でも感情的な充電が得られ、外からくる刺激に対してする反応を改めてくれるということ。

La siesta y la cama

それから、シエスタと小さなことからくる幸せについて話しているついでに:
ベッドを整えて。これはプロジェクト幸福の多くの読者たちが好み奨め、このささやかな行為が個人の満足度を高める方法として大きな貢献をしてくれる。
幸せは崇高な大望で、だけど、ベッドメイキングは退屈な行為。こんなことでなぜ、そんなに効果的に幸せが増えるの?」ブログの著者は疑問に思い、それから二つの答えを出す:ベッドを整えることは、その速度と単純さにもかかわらず、それは環境を変えてしまう。
すべてはより整然とし。靴を見つけることはより簡単に。ベッドルームは、大きな自信を与えてくれる場所に。そして、多くの人とって、環境の調和は精神的にも平和をもたらす。ほかにも、一つのことに忠実に従順する、それがどんなことにせよ、満足感は得られるものだ。もしこの方法を身につけられたら、自分を効率的で生産的だと感じながら一日を始めることができる。

もちろん「ベルナルダ・アルバの家」のように厳正で規律を守る環境で育ったのなら、満足できる状態はきっと片付いていないほうがいいかもしれない。
でも、ここで言いたかったのは:しわくちゃなシートでもきりっとしたのでも、シエスタしちゃおう。

元記事リンク:Vuelta y Vuelta by Natalia Martín Cantero
(記:2011/05/24)


乳歯(他に無くても良いモノ)- Dientes de leche (y otros objetos prescindibles)

Posted: 7月 15th, 2011 | Author: admin | Filed under: スペイン語 | No Comments »

モノにも歴史があるとして、モノを捨てるときにはそれからも解き離れている?

母が私に言った言葉だ。祖母が八人の子どもたちの靴下を繕う時に使っていた木製の卵から「時計仕掛けのオレンジ」の半券をも捨てずにいるような私の母が、先日私の乳歯を捨てた。それまで、青いベルベットで飾られた小さな宝石箱の奥にしまっていた。

ちょうど私も同じように、小さな平豆みたいなそれをコレクトしている立場にあってこのニュースには二重に揺れた。ごみに捨てたのか、それもバナナの皮や魚の骨と一緒になって?歴史も一緒に捨ててしまったのか?

青いベルベットの箱はどうしたんだろう?それはまだ捨てずにいるの?内容物よりも容器が大事なの?あなたの初めて子どもの乳歯の場所を、なにが代わりに取って代われるの?
もしかすると、もうすぐ私が手に入れるのを渡してもらえると期待しているのだろうか?
釘が他の釘の場所をおさめるように、歴史も他の歴史に取って代わることができるのだろうか?

ニューヨーカー作家のチャペル・エリソンは毎日一つのものから解放されることを目標にしている。彼女のブログでは全てが出ていく。
「より少ないものと暮らすために」エリソンは「毎日、一つ一つ自分のものを人にあげます。時には、モノに個人的な物語を添えられていて、それがモノをもっと好きに(あるいは反対に)させる。そういうモノたちや記憶から離れることで、周りにあるモノたちにつける意味やつけ方をより理解できると期待している」

これまで、エリソンはしわのついたシャツや小さな玉、本やDVDや下の象の家族の消しゴムをあげてきた。でも、本当の挑戦は火事の中でも、歴史が消えてしまわないように、救い出しに行くようなものから解放されることかもしれない。

Dientes de leche (y otros objetos prescindibles)

「ロンドンの夏は、ぞっとするほどいやだ。観光客。暑さ。メトロでの缶詰め。良質のシェークスピアを多く体に取り入れ、美味しいピザを食べ、たくさんのギネスを飲んだ
コベントガーデンを歩いて、買えなかった高いバッグの代わりの敢闘賞としてゴムの黄色い象を買った。今は、その予算制限に感謝している。そのバッグはティーポットみたいだった」
(チャペル・エリソン)

元記事リンク:Vuelta y Vuelta by Natalia Martín Cantero
(記:2011/06/30)


よりつながれた、より太った – Más conectados, más gordos

Posted: 7月 15th, 2011 | Author: admin | Filed under: スペイン語 | No Comments »

(グーグルの最新の発明の)ドライバーいらずの、一人手に動き回る車。 幼児期から太り、より肥ってきている人たち。画面にずっとへばりついた人たち、お風呂場でも…。第1世界の現実を構成しはじめているこれらの材料は、多くのSFの映画や小説の素材として使われている。

その中で、私はWall-eがいい。 悲しいことに私たちのそれに似てきている、映画の世界観と人間味あふれるあのロボットに私は惚れている。それから、このメッセージも:命ある限り、希望もある。命が病んだ苗の葉っぱのごとく縮んでも。

wall-e
Wall-e – youtube

元記事リンク:Vuelta y Vuelta by Natalia Martín Cantero (記:2010/10/07)


とんで!- ¡Salta!

Posted: 7月 15th, 2011 | Author: admin | Filed under: スペイン語 | No Comments »

「日々の中で一番の喜びは朝食だ、目を覚まし、生きていることを確認してその歓びを実感することの次に。」ラファエル・アスコナがインタビューの中で言っていた。パンにトマトとアンチョビで:「朝を楽しむんだ、新聞を読み始めるまでは。そこから朝はもうねじれるんだ」

インタビュアーは、そういう目覚めは素晴らしいですね、とコメントする。
それにアスコナは:「宇宙の唯一の(根本的)理由は、生きながらあなたが与えた意味だけだ。じゃないと、意味がない」

あなたが大都市に住んでいて、公共交通手段を使っているなら、観察できるでしょう。どう生きているのか、本当に生きているということなのか、あるいは:黄ばんだ顔つき、目のクマ、曲がった背筋、視線はどっかにいっており、みんなが原動力不足に苦しみ、似ているたくさんの都会人はまるで最近なぜかまた流行りだしたゾンビ映画の中の完璧なエキストラ。(もちろん、確かなのは、偶然だとは思えないこと)

大型駐車場の中心にいるよりも木々や山や水のせせらぎと一緒に起きたほうが、人生は自分の静脈を流れていると感じられる。自然な環境にいたほうが幸せだってことはもう知っていたが。New Scientistの新刊はやっと実証したそうだ。Retiario記によると、「自然と接していてはじめて、本物の肉体的精神的健康が得られるロマンティックな考えは、有効だった」

もし、不幸なことに、あなたの頭の中以外に鳥がいなかったら、どうなるんだろう。
ここに、1リットルのコーヒーを飲まずとも活力を取り戻す、お金も時間も必要ない絶対安全な方法がある。とんで。階段から、縁石からあるいは単純に蛙飛び。

Philippe Halsman、写真家で「ライフ」雑誌の表紙を100回以上責任者として務めた彼は、被写体に地面から足を引き離すように頼み、跳躍の写真で有名になった。
リチャード・ニクソンやウィンザーの侯爵達、ジョン・スタインベックなどにもespontaneidad, vigor y alegriaが放つポートレイトでやってもらっており、その中には気取った人も。

¡Salta!

それもダメなら、最後にはテキーラのクラシックが残っている。

テキーラ
Tequila – Salta – youtube

元記事リンク:Vuelta y Vuelta by Natalia Martín Cantero
(記:2010/09/12)


足りないのはヤギだけ – Sólo falta la cabra

Posted: 7月 15th, 2011 | Author: admin | Filed under: スペイン語 | No Comments »

Sólo falta la cabra

山から遠くにあるマドリッドを眺めると、悲惨なまでにミサイルに似ている四つの直立した塔からは、あの「※Barrio」のような風景は想像できないが、それがちょうどいま私の窓の下に繰り広げられている。コインを何枚か空中に放ると、歩道に散らかる。後はヤギさえいれば。

【※訳者:近所という意味で1999年のスペイン映画でゴヤ賞受賞作品】

元記事リンク:Vuelta y Vuelta by Natalia Martín Cantero
(記:2009/09/30)


釦とほかの細かい物事 – Botones y otras pequeñeces

Posted: 7月 15th, 2011 | Author: admin | Filed under: スペイン語 | No Comments »

(マスコットの)ナランヒートがいたワールドカップの時には、もう定年退職していたはずの勘定台向かいの雑貨小間物屋さんの女主人は、私の娘のエプロンに縫い付けるための八センチのオレンジのリボンのお代が6センティモスだと言ってくる。

それも、ちょうど学校のエプロンのよだれかけを二つといろんな種類の紐それと靴下を2足買ったところだ。数週間前は小さ目で平らな白いボタンを4つ買ったら70センティモスだった。パン一本分だ…。

ただ、こういう細かいところに対する狂信さなしにこのお店が生き残っていただろうか。

今日はヘッドラインをストが覆いつくし(もちろん国の2と3番目の新聞が、まったく同じに一面に持ってきていることがその証拠だということではないが)、でも私にはこういう細かいことのほうに傾く。

Botones y otras pequeñeces

「私の祖父が1910年に商家を開き、ただ曾祖父も椅子を取り扱っていた」マドリードの商店街( Tiendas de Barrio. )にある工房の主人は語る。イラストもブログのもの。

元記事リンク:Vuelta y Vuelta by Natalia Martín Cantero
(記:2010/09/30)


地面に触れる -Tocar tierra

Posted: 6月 20th, 2011 | Author: admin | Filed under: スペイン語 | No Comments »

「地面に触れる」というフレーズが好き。

手を地面に沈めるとき、(嘆かわしいことに特に都市生活者の私みたいなケースでは)それがただイチジクを埋めるためであっても、インターネットや雑音では失いやすい本物との繋がりを感じることができる。

私は、都市庭園が心理学者や精神科医の仕事を減らしていると確信している。残念なことは、私の近所の庭園は高速道路と高速鉄道の近くにあることだ。
思うに、あそこではレタスは四つ目に成長しているんじゃないか。

「地面の上を歩いていることが、すでに奇跡です」マインドフルネスチリは旅の道すがら言っていた。きっと、彼はティク・ナット・ハンの語に言及していたのだろうか:
「人々は水面に歩くことを奇跡で あると言います、しかし、私にとってはこの地を平和的に歩くことこそ真実の驚異です。我々はこの瞬間も青々とした地面を歩き、今ある平和で美しいものに感 謝しているのです。私たちは認識さえしない奇跡に毎日浸かっているのです:青い空、白い雲、緑の葉、キラキラした好奇心に満ちた子供の目・・・私たち自身の目。すべてが奇跡なのです。」

ピクチャ 4
写真:「突進」ノーザンテリトリー、オーストラリア。Tilomiloのイメージ

確か、このベトナムからの禅の先生は、ベトナム戦争への抗議として、マンハッタンを弟子たちとともに目のくらむようなゆっくりとしたペー スで歩き回ったことが歩行者たちにインパクトを与え、有名なった。

それぞれに抗議の仕方があるのだとは思う。インドのSwami Ramdev、この国において最も有力な導師のうちの1人(そして、彼の批判者によれば、彼には大聖堂のようなエゴがある)は土曜日に、国の腐敗に抗議し た断食によるマクロ・ヨガ・セッションのストライキを行おうとしている。1000万もの人が、このイニシアティブに加わるかもしれない。

そして、私はフラワーポットと一緒にここにいる。

元記事リンク:Vuelta y Vuelta by Natalia Martín Cantero
(記:2011/06/03)


煙草、気にしますか? – ¿Te importa que fume?

Posted: 6月 13th, 2011 | Author: admin | Filed under: スペイン語 | No Comments »

「煙草、気にしますか」

食堂にいる彼/彼女はそれから火をつけて、食べかけのカスタードチョコレートを離し、控えめに椅子を押し下げた。
テーブルへの影響範囲から免れても、今度はマルボロの箱が二つ横たわっているネクタイをした二人の中年男性が大きな一口を貪りながら最新機種の携帯電話について元気よく話している隣の席に灰が落ちていく。

ピクチャ 3

出口のない質問ではあります。
(なんでか知らないが、たずねない人ももちろんいます)
だれもが、どうぞと言うのでしょう。「私は気にします」。でも、そうすると、誰も何も言わずにいたとしても、原理主義で不 寛容、柔軟性がなく、融通が利かないという烙印が押される。それに口論になる危険性も孕んでいる。そう、だれかがなった。15年も前。

元記事リンク:Vuelta y Vuelta by Natalia Martín Cantero
(記:2008/09/08)


なんて安心感だろうか -Qué alivio

Posted: 6月 3rd, 2011 | Author: admin | Filed under: スペイン語 | No Comments »

ホアン・リボ、バレンシアの議員である彼が公用車によ る送り迎えをやめ、オフィスへ自転車で行くことを発表した時、小さな表現がどこまで大きくなるかを思い出させてくれた。統治者はとかく力を手に入れてすぐ、まるで惑星外の存在に変わってしまう(それ以前からそうだったかは置いといて;たいていはそうだが)

メトロバスの存在を知らない輸送 機関の顧問、青い珊瑚礁以来映画館に行かない文化コンサルタント、パン一個、牛乳一本の値段も決められない政治家:これらの怠慢を正当化する方法はいくら でもある。だけど、私にとっては濫費にしか思えない。デザイナーや映画監督なら望めばとんでもない浪費もできるでしょう。

だけど私は、人間としての常態を失わない、例えば日常でのバス乗り場や病院や果物屋さんでの長蛇の列、電話会社の時間帯のペテン、公立学校の月並みさの犠牲になっている人に代表をしてほしい。

多分にこういう些細なことが、日々を作っていくんじゃないですか?

そういったものに接さずにどう やって解決できるんでしょう?

「公用車もいらない、いつも自転車と公共交通機関で通うけど隣人と話して彼ら問題を知るのにとても役立つ よ」と、リボは言う。

毎日メトロで通勤の道のりがてら、出版物を読み、市民のパルスをとっていたかのロンドン市長の名前は思い出せないけど。

どうしても、考えてしまいます:彼らは間違えるかもしれない。だけど、こっちの世界の住人である。なんて安心感だろうか。

元記事リンク:Vuelta y Vuelta by Natalia Martín Cantero
(記:2011/05/11)


レティルからケンタウルス座アルファ星へ – Del Retiro a Alpha Centauri

Posted: 6月 3rd, 2011 | Author: admin | Filed under: スペイン語 | 1 Comment »

数字は目まぐるしい:2008年の間、世界に2700万近くあるサーバーはほぼ9,57 ゼタバイトものの情報を処理した。このbytesには、9,57の後にゼロが20個続く。サーバーの処理量は年々倍化していて、もし、ハビエル・マリーアスの最新本みたいに印刷されたら、2024年頃には私たちから最も近い4,37光年先に位置するケンタウルス座アルファ星に届くことを意味する。これは、 カリフォルニアで発表された情報ストレージに関する研究をもとにした「クッキング イデアス」の記事に書いてあった。

これは、なにを意味するか?
夏休みのテラス、ビール、人々、抱擁、笑い、そして今週末マドリードの強い日差しの後に行ったRetiro公園の芝生のくすぐりをまだ感じている。そんな私の場合、このバケツをひっくり返したようなbytesは、まだ読まなければならないブログや返さなければならないE- mail、気にしなければならないソーシャルネットワークとしてしか映らない。
レイチェル・リ-メンの短編小説が頭に浮かぶ。
「失われた物語を求めて―キッチンテーブルの知恵 」の著者で統合的な医療を推進する運動のパイオニアでもある彼女は、貧しいけれど心豊かな友人の6才の男の子との友情を語っている。この男の子は、一日ずっと、昔ガソリンスタンドでタンクを満タンにすると貰えるいくつかのおもちゃの車で遊んでいた。リ-メンは事務所の同僚たちからこのおもちゃを集め、すぐに全種類が集まった箱を少年にあげ、歓喜していた。ただ、思いもかけなかったことのために、彼は遊ぶのをやめてしまった。この小さい子は彼女に「こんなにたくさんあると、どうやって楽しんだらいいか分からないよ」と言った。
この子はきっと感受性が高く賢いと思う。けれど、もしあなたがこの惑星にいるのであれば、間違いなく同じ経験をしたはずだ。集めれば集めるほど、冒険はできなくなる。全てを持ち続けて、冒険はするな。「多分、本当に愛せるものだけしか持ち続けることができないのかもしれない」彼女は考える。
だったら、どうやったら、4,37光年分の情報を愛せるのだろう。

ピクチャ 5
image: Sergio Martín Cantero

会話をし、釣りをし、太陽の下に座り、そよ風や波を感じ、海に石を放って、夕暮れを見て、 幸せになる。すべては、繋がっている。

元記事リンク:Vuelta y Vuelta by Natalia Martín Cantero
(記:2011/04/11)